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ブログで社会風刺はNG

今も昔も変わらず通しているのですが、不特定多数の方に読んでいただけるブログ上で尖った発信をするのは構いませんが、社会風刺することは是か非か考えた時に、あまりしない方がスマートだなと考えています。そう考えだしたのは、高校1年生の時でした。

高校1年生の頃、2002年です。クラスメイト何人か、ホームページを自分で開設してそこにブログを書いているのがいました。まだ世の中にSNSという概念が無く、mixiやFacebookやAmebloが登場するのはもう少し先でした。

※mixi:2004年2月サービス開始
※Facebook:2004年2月初版、2006年9月一般公開開始

クラスメイト同士、リンクをそれぞれのホームページに貼り合って、毎日可能な限り更新してカウンターというアクセス解析の数字が回ったことをに一喜一憂したりして、たまに面白かったと教室の中で話題になることが楽しくて続けていました。

そんな中、比較的聡明な発言をするH君とブログの話をしているときに、なんとなく彼からこんな話題が出ました。

読者がいると勘違いする奴が出てくるけど・・・

彼が曰く、「ブログを書いていると一定数更新するたびに読んでくれる人がいて、その数字が自分の実力と思っても間違いではないんだけど、ニュースにコメントしたり、社会風刺したり偉そうなことを書くのは俺たちの分際では違うと思う。」

16歳の人間の言葉とは思えない聡明さに、ハッとさせられた同じく16歳はそれから21年以上その教えを守ってブログを書き続けています。

彼が言いたかったことの真意はなんなのか

彼はブログというものの存在を、恐らく娯楽としてとらえていて、日々起こった身近な出来事への所感を、16歳なら16歳らしく書き綴ることにこそ価値があり、それを読む人がいるんだという事だろうというのが私の中の結論です。

ブログというものは、湯水のごとくネタが湧き出るものではなくて、毎日書くことを義務や仕事として考えて書いていると、本当に苦しくて、面白いことも書けないし、何か誰かがネット上で発信したことをさも自分の意見の様にトレースして書いてみたり、ニュース記事を自分の感想を入れこんで二次加工してみたりする、私からすると何も書いていないに等しいブログを量産することになりかねないのです。

文章が面白い、表現力がある、ボキャブラリーや知識が豊富で勉強になるということ以上に、書き手の人生観がダイレクトに出ている方が価値を感じ取ってもらえるはずです。

もちろんニュースを切って社会風刺するのもありだとは思いますが、私は切らない様に切らない様に気を付けてブログを続けて行きたいと思います。

ありがとう。H君。

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