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ラーメンと

今回、ラーメンとの思い出を書いてみたいと思います。取り留めもないので、ラーメンと言う切り口だけで自分の短い半生を振り返った文章です。

私がラーメンと出会ったのは小学生のころ、正確に言えばインスタントラーメンは食べたことがあったと思いますが、ラーメン屋で食べるしっかりと調理されたものを初めて食べたのが小学生に入ってからでした。母親と妹と買い物へ行き、少し遅くなったので夕飯をなんばの地下街で済まそうということになり、なんでもないラーメン屋に入り、ラーメンと餃子の定食を食べました。本格的なラーメンに感動した小学生の私は「ラーメンは最高。今度から外食は全部ラーメンが食べたい。野菜も入ってるけど全然嫌な味がしない。身体にも良さそうだ。」と言い、ラーメン好きな小学生へと変身を遂げることになります。

またある日のこと、母親に連れられて「ラーメンが好きだから、特別にこういう店にも連れてってあげる。」と言われ、赤暖簾の尾道ラーメンの店へ連れていかれました。豚の背脂がプカプカと浮いているにもかかわらず、すっきりと飲み心地が良くコクがあって何とも言えない味わいに感動して、「また食べに来たい!」と言ったところ、お店の人から「ごめんねぇ。来月で閉めちゃうんだよ。ありがとうねえ。」と言われ、物凄いショックを受けました。なぜなら、尾道が地名ということを知らず、尾道さんのオリジナルラーメンだと思っていたからです。大人になって、そういえば尾道ラーメンって美味しかったなと思い見つけて食べた時、そんなに美味しくなかったのは想い出補正のせいでしょうか。

中学生になると、なんばにラーメンミュージアム的な大型のラーメン屋がたくさん入ったアミューズメントパークが出来ました。オープン当初は物凄い行列で、何度も通って全国の人気店の色んなラーメンを食べる喜びを覚えました。この頃には、ラーメンって地域性だけでなく、スープの種類、麵の種類、店主の味付けで微妙な差が産まれて、値段も1000円以内で食べられるものも多いので、さらにのめり込むようにラーメンを定期的に食べるようになりました。そして、この頃からほとんどカップラーメンを食べていません。

大学生のころ、一カ月に何度か学校の近くにあるラーメン屋へ行くことが密かな楽しみでした。細麺とコクのある豚骨味のスープ。はまり過ぎて、そこのラーメンばかり4年間食べていた記憶があります。チェーン店だったので、梅田にもその店があり、飲み会の後に入ったのですが、驚くほど美味しくありませんでした。その瞬間、あびこ駅のあのラーメン屋のあの店長が作ったラーメンが美味しかっただけで、看板に頼った経営はラーメンですが伸びないのだなと悟りました。

しかし残念なことに、アルバイトを始めた自分は世の中に、少しお金を出せばラーメンより美味しいものが沢山転がっていることに気付かされてしまい、少しラーメンから遠ざかってしまいます。敢えて美味しいものを食べるために、飲食店でアルバイトをしたこともありました。

そんな私を変える出来事が、大学4回生の頃起こります。毎年1回、東京と神戸と大阪の大学3校が交流戦を行っていて、私は1回生と4回生で東京遠征がある当たり年に入学したのですが、その時飯田橋駅で食べたラーメンは、それまでの人生を揺るがす事件でした。「こんなラーメン・・・食べたことが無い!!!!」私は実はその時就職先が決まっていて、勤務地が関東か関西かだったのですが、家族や付き合っていた彼女がいる関西を離れてもいいかなと思わせるに足る衝撃をその場で受けました。

就職後、晴れて東京事務所勤務になり、休日は嫌がる同期と一緒にラーメン屋巡りをスタートさせました。行先はラーメン激戦区の池袋や、世田谷でした。その頃世の中は煮干し魚介とんこつスープのつけ麺ブームが来ていたので、せっかく行ったからと、3軒ぐらいハシゴをすると胃痙攣を起こす同期もいたほどのボリュームがあり苦労した覚えがあります。しかし、私はその頃からお腹が空いていたらつけ麺もいいけど、やっぱりスープに麵の入ったラーメンがいいなと、改めてラーメンの良さを噛みしめていました。

定期的に関西へ帰って来ては、行列の出来るラーメン屋さんへ並びに行って食べるのですが、東京で言うところの完全な時代遅れが否めない状況で、私の中では”関西のラーメンは終わっている、いや、始まっていない。。。”という感想を持つに至りました。私の中では生まれ育った土地のラーメン屋に対して、木綿のハンカチーフが流れ始めていました。替え玉をください。

私が大阪へ戻る少し手前の話ですが、勤めていた先で組織改革が行われ、業務内容と私の中での担当顧客が変わり、主に四国へ行くことが増えました。四国と言えば、四県それぞれに特色があり、どちらかと言えば隔絶された地域性が生んだ地域そのものの産地グルメがあり、その土地へ行かなければ味わえないものが沢山あるということを知りました。

香川県は讃岐うどんが有名ですが、鶏も美味しいので、気付かないうちに上質なとり天をうどんと一緒に食べていた人も多いのではないでしょうか。若鶏と廃鶏を塩辛く調理して焼いたものは、その柔らかさと、対極にある歯ごたえと味のコクが楽しめるビールが進む逸品であります。

徳島県は、全国的に知られているものと言えば徳島ラーメンとすだち、天然の鯛などですが、徳島は南北にも東西にも広がっていて、明石海峡で取れる魚は本州よりも安く、南の方へ行けば太平洋側の魚も食べられます。山の方へ行けば、吉野川で獲れる川魚など、自然豊かなものが味わえます。徳島ラーメンは、和歌山ラーメンと酷似しています。

愛媛県は、みかんと養殖鯛が有名です。実は中四国地域の中でも三番目に人口の多い街で、松山城周辺に拡がる繁華街は人が多く、食べるものも田舎臭いものが少なく、若者の街的なものも多いです。養殖鯛を使った鯛めしが有名ですが、じゃこ天が別格です。じゃこ天はじゃこしか使わないこだわりから、雑味が無く本当に美味しいとしか言いようがありません。松山市内に有名な店が数店あり、どこも美味しいです。

高知県は、カツオカツオカツオ・・・とカツオのイメージしかないかもしれませんが、そんなことはありません。カツオと、日本酒があります。高知県の日本酒は、水も米もそれほど日本酒に適していない地域にもかかわらず、全国的に辛口で料理に合うと人気があり、杜氏の力量が高いことが図れるバロメータになっています。カツオは1年に2回シーズンがありますが、冬にはアユもあり、夏にはウツボや貝類が美味しく、年がら年中楽しめる地域です。あまり知られていませんが、赤牛という品種の肉も脂っこくなくて柔らかくて私は大好きです。

仕事そっちのけで四国のグルメに触れて、ラーメンと少し距離を置いたわけです。なぜなら、四国では徳島ラーメンと高知の須崎なべ焼きラーメン以外に有名なものが無く、競合も無いので海の家でラーメンを食べるのと同じぐらいにしか食べないのです。残念ながら。

そうこうしているうちに、30代を目前にラーメンばかり食べていては健康に問題が出てくるなと言う年頃になり、大阪に戻る決心を付けました。

私が大阪へ戻ってきた2014年頃は、徐々に時代遅れ感が無くなりつつあり、大阪でも美味しいラーメン屋が増えてきたのではと言う感じになっていました。そして、こどもが産まれてファミレス以外のラーメンが食べられる店へは行く機会が減ったので比較検証することも減りました。今は鍋料理の〆に入れるラーメンが一番好きです。

取り留めもない話でしたが、ラーメンと自分を振り返るとつかず離れずいい関係が保てて来たかなと思いました。

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