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からし
朝ご飯は米を食べたい私は、付け合わせに納豆を食べる時にからしを必ず捨てます。今までもちろん何度かからしを付けて食べてみたことがあるのですが、口に合わないので捨て続けています。実家では残したからしが冷蔵庫に保管されていて、どんどん積みあがって行くので、実家を離れた今、あえて残しておいても使い道がないので都度ゴミ箱に入れてしまうのですが勿体ないと思うと同時に、おそらく私のような人間は沢山いるのにどうしていつまでもからしは納豆のパートナーとして居座り続けているのか疑問を持ちました。
からしが納豆に使われたのは江戸時代がルーツ
江戸時代は冷蔵庫が無く、夏場に納豆の臭みをカバーして食べられる様に、その辺に自生しているからし菜から作れるからしを薬味として使い始めたことにルーツがあるそうです。
冷蔵庫が各家庭に普及して、からし以外の薬味が納豆に合うということが認知されて、わさび、しそ、ねぎ、ポン酢、卵など色んなものが付け合わせに登場して、それが納豆売り場に浸食し始めたものの、依然として大半の納豆はタレと納豆がセットになっている状況は変わりません。
冒頭で書いた通り、SDGsの観点からもかなり小さいながらもタレとからしが入ったビニールの削減や、そもそも不必要な人の為にからしが無い分少しだけ安い納豆の販売を行ってもいいんじゃないかと私は思うわけです。もうあるでしょうが、それでもからしレスのパッケージは殆どありません。広がらないのです。
仮説:からし業界の涙ぐましい営業努力
からし製造業者の営業マンは、納豆・肉まん・おでん業界がメイン顧客です。日頃のルート営業だけでなく、定期的なゴルフコンペ開催、定期的な勉強会開催や懇親会、お中元とお歳暮、年末年始のご挨拶などなどはもちろんこなしつつ、定期的なコストダウン要求に四苦八苦し、新規開拓と言う名の納豆工場へのテレアポは、「粘り強さが大事」などと使い古された冗談を上司から擦られ続け、それでもわさび、しそ、卵などのニューカマーたちにパートナーの座を奪われないように空気の様に、常にそばに居る存在であり続ける努力を怠れないのです。知らんけど。
からし業界に出来るSDGs
フードロスに対する企業姿勢は、製造業におけるカーボンニュートラルへの取り組みと似ていると思われます。
なんと国民の約50%がからしを納豆に入れないと回答するほど、日本人のからし離れが加速する中、捨てられるものを入れ続ける意味合いはどこにあるのだろうかと、納豆業界からも徐々に厳しい声が上がり始めているのではないでしょうか。
「いや、納豆業界の皆さん。考えてもみてください。江戸時代から、幾たびのパートナーシップ分断の危機に立たされたと聞かされておりますが、令和時代の今でも我々の関係は続いているではないですか!それを何ですか。SDGsでフードロスだとか、ビニールの削減だとかそんなぽっと出の言葉に惑わされて、我々からしが納豆を支えて来た過去を何とも思わないんですか?赤ん坊の頃、親から離乳食として食べさせられた納豆を、大人になった証としてからしを入れて味わいの変化を感じ、味覚の成長を促すことが出来る役割を、放棄してもいいんでしょうか。半分は捨てているかもしれませんが、もう半分の納豆ユーザーは今でも我々からしの存在を必要不可欠なものとし、蓋を開けた瞬間に入っていることへの安心感は、何物にも代えがたいのではないですか?考え直してみてください。我々は諦めませんよ。」
もうそれは担当営業マンだけでなく、課長、部長、取締役、社長まで総出でなんとかそこをなんとかと食い下がっていることでしょう。
と、ここまでは想像の域を出ませんが、このような付属品のビジネスモデルというのは、ある日突然無くなるかもしれないという危機感を持ちながらも、一度食い込めば莫大な利益を永い期間享受し続けられるという点から考えると、勉強になります。
スマートフォンの付属品群
- 充電器
- 充電ケーブル
- 液晶フィルム
- 保護ケース
- モバイルバッテリー
これらの存在もずっとついて回りますよね。絶対的に需要があるので参入している業者も多いですが。
これから、からしの対抗馬として何が参入してくるか分かりませんが、からし業界の方の哀愁を感じ取りながらも競争の激化を消費者として望んでおります。
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