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ChatGPTを相次いで利用禁止にする大学は自ら発展のチャンスを失わせている

大学生の頃、私は文系学部だったのでレポート提出を求められることもしばしばありましたが、そこまで苦労したことが無く、唯一大変だったのも卒業論文の際に内容はともかく、40以上の引用を図書館の文献から拾えばオッケーと言われ、引用できそうな文言を先に40箇所用意して、それをつぎはぎの様につなぎ合わせて体裁のあるようで全くない論文を完成させて卒業に漕ぎつけた経験ぐらいです。

2008年4月から2009年3月までが私の学生最後の年でしたが、その当時既に「卒論作成代行」みたいな怪しいタイトルの書き込みがmixiというSNS上に書いてあったりしました。もちろん今となっては分からないことですが、誰かがそれを利用したとかしなかったとかといううわさが立ち上っては消えていました。

何より、何かが発覚した際に留年が確定し、そこまで頑張って来た就職活動はお釈迦になり、ゼミも除籍になり、授業で地道に20単位以上集めないといけなくなるしんどい1年がリスタートすると考えるとゾッとしてそんな悪魔のささやきに耳を貸そうとは思いませんでした。

ChatGPTにより文章作成が楽になる

誰もが考えるのが、Open AI社が後悔しているChatGPTを上手く利用すれば、学部卒の書ける論文なんて簡単に作成することが出来るので利用禁止にされて、さらには対策まで打つということらしいのですが、私は逆にこんなことを考えました。

むしろ、使わせるべきではないだろうか

どうせ、社会人になった時に、ChatGPTを含むAIが作成する文章やイラストやプレゼンテーションの類を思いっきり利用して活躍できる人材こそが、これまでから生産性を何倍にも、下手をすれば指数関数的な伸びを見せて発展させることが出来るのでしょうから、大学生の頃からAIを使った情報処理能力を身に付けさせていく方がこれからの時代重要ではないかと思うのです。

論文作成では、文章の体裁を整えることに重きを置かれたため、例えば本来もう少し時間を費やすべきだった情報収集であったり、分析であったり、複数の仮説を議論して自分の中で昇華させることに労力を注ぎ込んだ方が良いと私は思っていました。

もちろん、ギリギリになってAIに適当な論文を書かせるテクニックだけで勝負した人間は、落第する可能性が高くなるでしょうが、体裁よりも内容に重点を置いて論文作成が出来ることはむしろ歓迎すべきではないかと思うのです。

逆にAIを使いこなす方法を私は知りたい

文章の体裁を整える方法を学び卒業しましたが、そんなものルールブックがあれば分かる話で大したことではないと今でも思っているので、とにかく今は一刻も早くAIに仕事を丸投げ出来るスキルが欲しいと強く思います。

今本当に教育は分岐点に立たされているので、これから先どうなって行くか見届けたいですね。

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