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遠くで汽笛を聞きながら

30代前半のある日、カーステレオのラジオを聴きながらどこかの街を走っていた時、堀内孝雄氏の歌声でこの曲が流れて来た時あまりにも衝撃が走って、直ぐに車を停めてスマホを取り出し検索して改めて何度も聴き返しました。

自分が20代で聴いてもピンとこない哀愁が立ち込める人生に欠かせない一曲として、常に何かあれば聴いたりカラオケで歌います。

遠くで汽笛を聞きながらの作詞をした谷村新司氏がこの世を去り、なんとなく我々が気付かないうちに船に乗って港を出て行ってしまった後にそれを知ったというシーンが連想されました。一般的には動き始めた汽車を連想されているかもしれませんが、動き始めたらまだ顔が見えるのですよ。ああ、いなくなったな。その余韻が感じさせられるなと私は思いました。

またもう一つ、谷村新司ことチンペイとして親しまれた一因が、スケベオヤジだったことを公言していたことですが、やはり自分の二面性を受け入れて貰うということは非常に大切だと思います。どうしても聖人君主として偉人として世の中から認知されたいと立場が形成されていくと思いがちですが、人間として理解できる部分を持ち合わせていないと、理解されがたいのではないでしょうか。こんな風に素晴らしい芸術を世の中に残しつつ、ビニ本を大量に自宅に残してヤフーニュースで報じられながらこの世を去るという生き方には尊敬の念を抱き続けています。

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