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ノブレス・オブリージュ

先日息子が通うサッカーチームの練習試合に行った際、しばらく席を外している間に別の親御さんが自分のことを探しに来て、「息子さんがお茶が足りないと言っています。買って来てあげてください。」と言われて慌てて走って買いに行って渡したところ、物凄い勢いで飲み始めて「凄い喉が渇いていたみたいですね。間に合って良かったです。」と言われみんなが笑うという場面がありました。

あれ、友達同士で水筒のお茶をシェアする文化ってなくなったの?

と驚きを隠せないで、とりあえず照れ隠しに笑ってごまかした自分。

昔はクレクレ君が絶対一人はいた

小中高と野球をやっていたので、原則として飲み物は水筒か、水道水。氷が入って冷たく冷やされたままの大きな魔法瓶に麦茶を入れてくる友達は、男友達からよく”モテて”いました。

まず、家のお茶を冷やして氷を入れて大きな水筒に入れて行くというだけで親御さんの相当の愛があるわけで、私を含め大多数の子供たちにはそんな大きな魔法瓶にキンキンに冷えた麦茶が注がれているはずもなく、ぬるい水道水を極限まで渇いた喉を潤すために仕方なく飲んでいました。

その親からの愛を沢山注ぎ込まれた魔法瓶にチームメイトは群がり、気のいい奴だったら自分が飲めたはずの分をハイエナたちに沢山飲まれてそれでもニコニコしているわけですが、少し賢しい奴の場合、お茶を通貨のように取引材料として主従関係を手に入れている場合もありました。中でも、試合の日には気合を入れてポカリスエットの粉を水筒に入れてもらい持ってくるという、喉が渇いたハイエナ小中学生にとって足を挫いてしまったキリンぐらいの存在感をまき散らす日なんて、子供たちのゴマすり合戦は熾烈を極めていました。

クレクレ君は、傍から見ていても自分が「クレクレ」言われてもうっとおしい存在でしたが、どこか憎めない不思議な存在で、下手したら練習に水筒を持参せずに一滴も水道水を口にすることなく潤った喉を保つことが出来ていたという伝説すらありました。

ノブレス・オブリージュ

財産・権力・地位を持つ者は、それ相応の社会的責任や義務を果たさなければならないとされていたヨーロッパの騎士道に倣い、ニコニコ笑顔で冷たいお茶や時にポカリを施していた彼らこそ、グラウンドの騎士だったのではないかと、私は思うわけです。

コロナ禍に育った息子たちは、そういった集団生活の中でノブレス・オブリージュの精神を学ぶ機会を失われたまま、これからの人生を生き抜いていかなければならないのだと思い、少し不安になった、そんなエピソードでした。

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