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世田谷区用賀の思い出 ミナト

大学を出て、就職先に選んだ建機メーカーの東京事務所が東京都世田谷区の用賀という場所にありました。関東の方でなくても用賀ICと言えば東京の西側から首都高に入る玄関口にあたる土地として聞き馴染みがあるかもしれませんが、東急田園都市線の急行が止まらない駅ではあったものの乗降者数も多く、駅から降りると意外と下町の風景が広がる場所でした。5年間その土地に勤務していたので愛着も湧き、10年以上経った今ではもう学生時代を過ごした土地のような懐かしい場所に代わっています。

用賀には、ある程度沢山の飲食店があり、昼食時になるとローテーションを組んで同僚の方と一緒に食べ歩きをしていました。

その中でも、タイトルに挙げた「ミナト」という洋食屋さんが私の心を射抜いてくれたので是非ともその思い出を綴りたいと思います。

ユーミンが通う店、というキャッチコピー一本でやっている

ミナトを見つけたのは本当に偶然で、下町ではあるものの、そこまで古い飲食店が沢山残っているわけでもないあの街で、ひときわ目を引く古びた看板をある日見つけ、面白がって入店してみることにしたのがミナトとの出会いでした。

入ってみるとユーミンの写真が飾られていたので検索してみると、「ユーミンが通う店」と書いてあって、なんでも多摩川美術大学時代から通っていたそうです。他にも榊原郁恵さんが十代のころの写真とかも飾られていました。

店の入り口には和菓子が売られていて、店員さんはおじいさんと、おばあさんと、もう一人おじいさんの3人。

「最近のユーミンの写真はないね」

そうボソッと誰かがつぶやきました。

注文に対して注文してくる

私はこういう店が大好きなので敬意をもってお話ししたいと思うのですが、名物のオムライスやラーメン、ハンバーグ、スパゲッティなど洋食屋ならではの沢山のメニューがあるので、どれにしようかなと考えて、店の70代の看板娘であるウェイトレスさんを呼んで注文をしました。

「すみません。このC定食をお願いします。」

店「あ、ダメ。」

「え?」

店「それはお昼はめんどくさいから出来ないの。このオムライスなんか美味しいわよ~。」

「え?じゃあB定食は?」

店「うーん、オムライスじゃだめ?」

「あ、はいじゃあそれで。」

店「はい、オムライス一丁!!」

オムライスを食べてると、別の客が入って来て、同じやり取りし出して、「ちょっと、じゃあ何があるのよ!」とか言い出して、それを横目に笑いながら食べるオムライスは確かに美味しかったです。

会計が出来ないので脱出出来ない

食事が終わると後は会計を済ませて事務所に戻らないといけません。

「すみませーん」

店「・・・・・・・・・」

「あの、すみませーん!お会計!!!」

店「・・・・・・・・・」

この繰り返しを10回ほどしたのち、奥から普通に登場したおばあちゃん。

「あの、会計お願いしたいんですけど」

店「・・あ、はいはい。いつもありがとね。おまけでみたらし団子。表で売ってるやつだから。これあげるね。」

「あ、ありがとうございます。」

で、やはりその次に訪問したときも別のお客さんが同じように「すみませーん」を繰り返して、なんだったら最後怒鳴ってました。出て来てからも、「さっきから呼んでるんですけど!」とまた無駄な一言で怒りをぶちまけてましたが、そんなん言っても通用する相手じゃないのが分かってない時点でミナトに向いていないなこの客はと、同僚の方たちとその光景すら楽しみの一つにしていました。

従業員一同、バックヤードに入ったら全く聞こえていなかった模様。

通いだすとやたら優しくなるが

前の章に書かせて頂いたように、食後に必ず毎回、みたらし団子をオマケでくれていたのですが、嬉しいことに相手を選んでいたようで、もらえる客ともらえない客がいていたみたいです。

一度気まずかったのが、私たちが会計を終えた際にみたらし団子を一人ずつ貰ったあと、別のサラリーマングループが会計をした時に、何を思ったかミナトのおばあちゃんはみたらし団子を渡さず無の表情で「ありがとうね」と言うのみ。

僕らは会計後にみたらし団子をもらっているので、席で座りながら団子を食べつつ、そのサラリーマングループには横目で「なんでお前らだけ」みたいな顔をされて気まずい気分で退店するのを見送っていました。

仲良くなり出したので、「お母さん、何かおすすめのメニューはありますか?」と聞いてオムライスから脱出しようとしたら、「ラーメン!ラーメンがとにかくおすすめよ~。ラーメンにしなさい。」とこの強引さがいいなあと思っていて、食べてみたらそうでもない、というところまでがセットで楽しんでいました。結局あの店で食べたのがオムライスとハヤシライスとしょうもないラーメンだけでした。

知らぬ間に閉店していた

私が2014年の3月まで用賀に勤務していて、そのまま音沙汰無しでいつも心の片隅に用賀がどうなっているんだろうとたまに思いながら過ごしていたのですが、古巣の建機メーカーが用賀事務所をみなとみらいへ移すことになり、同僚にもその店がどうなったのか聞けない状況になってしまいました。

ある時東京出張があったので、少し早めに用賀まで行き、やっているか分からないミナトの前まで行ったところ、完全に閉店されていました。

もしかしたらやっているかもしれないと思ったのですが、看板だけ残されていて人影がなく寂しい路地になってしまっていました。

あまりにも寂しい気持ちでいっぱいになりましたが、腹は減っていたので用賀を散策したところ意外と美味しくてリーズナブルだと思っていた店がことごとく閉店されていて、行きついたのはタンタンメンのお店。もう何の思い出もない、辛いだけのタンタンメンを食べて一生この駅にも用がないなと思ったのでした。

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