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共産圏ではサンタクロースはどう振舞えばよいのか
私の原体験として、クリスマスなんて碌でもないイベントを誰が考えたんだと思わせることがあったのですが、友達がスーパーファミコンを貰い、ゲームブック2冊だったことにそれは端を発します。この話は何度も繰り返し擦った話であり深掘りするつもりはさらさらないので流してしまいますが、共産圏ではこの格差を生まないためにどうすべきと社会全体で指導されていたのかと疑問に思いました。
共産圏においては、富は平等に社会全体で分かち合うべきであり、サンタクロースが家庭ごとの格差を助長させてはいけないと指導されるはずです。
クリスマスの朝、ニュース番組で「今年のサンタクロースはこの国中の12歳までの子供たちにクッキーを3枚、キャンディーを10個ずつ配りました。」とでも発表するのでしょうか。
サンタクロースは消費需要喚起を潜在的意識に訴えかけるための社会的仕掛けとして機能している
サンタクロースの存在は子供たちの希望であり、実現してあげなければならないものです。これを行わなければ、将来子供たちが大人になり、クリスマスシーズンになった時に何か物足りなさを感じ、恋人にプレゼントを強請る、自分へのご褒美を買うなどの消費マインドが潜在的なところから刺激されなくなるのです。
今のハロウィンの様に、仮装して大人に向かってイタズラして欲しくなかったらお菓子を寄越しな!みたいな英会話を強制させられて、均質的に配られるお菓子を受け取り満足しているものではなく、自分たちの置かれている経済状況に応じたプレゼントを親の心持一つで受け取ることが出来ることが、ここまでクリスマスを大掛かりなイベントに仕立て上げた原動力であると言えます。
共産圏ではクッキーを3枚、キャンディーを10個みんなが平等に貰えるかもしれませんが、それは家庭の格差があって、クッキーを3枚未満、キャンディーを10個未満しかもらえないであろう子供たちしか喜ばないのです。魔女の宅急便に登場する、愛情がこもったおばあちゃんが作ったニシンのパイを一瞥して「私これ嫌いなんだよね」と言ってしまう裕福な家庭の女の子みたいな共産圏の子供からしたら、「クッキーなんて家にいくらだってあるし、キャンディーなんか虫歯になるから舐めさせて貰えないから捨てられちゃうよ」と、このくだらないイベントは、自分たちの渇きを満たすことはない・・・みたいなマインドにして、決して大人になって特別感のあるイベントには育たないであろうと思います。
共産圏のクリスマスの事なんか何一つ知らんけど。
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