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二世

物心がつく前から当たり前のようにそれは家庭の中にあり、家族の心を一つにまとめる役割を担ってきました。親から子へ、子から孫へ、それを信じて行くことが当たり前であること、疑問すら抱くことはありません。私がそうであったように、6歳の息子ですらも自然と受け入れてそれを当たり前のように信じ、ある時は熱狂的に、ある時は生活の一部として会話の中にも多分に漏れず割り込んでくることがあります。

毎年半年間、週3日は行事を繰り返し、その結果に家族で一喜一憂して、結果が悪かったときは自分の信じる気持ちが足りなかったと内省し、それを家族にも同じようにふるまう様に、それが当然のことである様に共通の意思形成を行い続けてきました。

私の息子は祖父が買い与えてくれた衣装を嬉しそうに着せられ、その写真がアルバムに飾られています。実は私も同じ年齢の時、同じように衣装を着せてもらい撮った写真がアルバムに飾られていました。衣装は全身、頭からつま先まで用意されていて、手には楽器まで持たされます。そうして、言霊の籠ったメッセージを信仰する対象に唱えたり、ある時は叫んだりします。昔は覚えるのも同じ志を持った者たちが集う場所でなければ出来なかったのですが、今はYouTubeを利用すれば志を持った方が沢山参考になる動画を挙げているので、それを見て何度も自宅で反復練習することが出来ます。

今年は悲願だったことが成就した、数十年ぶりの年だったこともあり、祈りは毎晩午後6時頃から始められ、日によっては午後10時頃まで続けられることもありました。6歳の息子も、親と同じことをすることで、幸せになれると信じているのか、自発的に遅くまで起きてそれを一緒にやっていました。

昨日、ついに38年ぶりにその瞬間が訪れました。

祖父から子へ、そして子から孫へ受け継がれた阪神タイガースへの想いが結実した瞬間、我が家のリビングは歓喜に湧きました。

強制するでもなく、日常に溶け込ませる形で彼も立派な二世ファンとしてこれからも応援を続けることでしょう。

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