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サライって何語?ペルシャ語です。

24時間テレビで加山雄三さんがラストを飾った”サライ”に心打たれた人も多いでしょうが、”サライ”がペルシャ語で、”旅の宿”という意味を指す言葉で、転じてオアシスであったり、心のふるさとであることをどれだけの視聴者が知って聴いていたのだろうと思うと、言葉の響きそのもの、文脈自体が言葉の意味合いをそれぞれに訴えかける、稀有なものなんだなと改めて思い直させられました。

※ちなみに24時間テレビのラストは観ていません

サライを日本語訳すると歌がチグハグに

桜吹雪の~オアシスの空は~

桜吹雪の~心のふるさとの空は~

可能性としては、メロディーがあって、歌詞を考えるに当たって、文字数の制約で悩み抜いた結果、世界中を探し回った結果、サライという3文字のぼんやりとしているが、心に刺さる単語を探し出すという奇跡が産まれたと考えるべきだという考察に至りました。

サライというものを、杓子定規に定義してしまうことで歌詞の解釈の幅が狭まり、歌謡曲の世界の矮小化、万人の心を揺り動かす力が無くなっていたかもしれません。

サライがペルシャ語であるかどうかよりも大切なこと

結局のところ、カステラの語源がオランダ語であるとか、日本に定着して数百年経っているものを今更オランダでは~~で、と語ったところで姿かたちが変わっているのが世の常です。和三盆を使用したカステラっていうのは非常に美味しいですが、オランダで和三盆なんて間違いなく使ってないでしょうから。

ペルシャの国民が、サライを聞いた時に「うーん。日本人はサライを勘違いしている。我々の中のサライに、故郷を思う気持ちはほとんどない。」と言われるかもしれません。

THE BOOMの島唄という沖縄の反戦を願う心を花にたとえて歌った曲は、何故か南米で日本語のままカバーされて大ヒット。国民のほとんどが歌詞の内容を知らないが響きだけで国民的名曲として愛されているというエピソードもありますが、聞く人の心の持ち様で何事も変容させられるのだなとつくづく思わされます。

今後サライはどうなるのか

毎年24時間テレビのマラソンゴールシーンを心待ちにしているわけではないのですが、今年で加山雄三さんがラストだと宣言したいま、ネクストサライについての議論が高まって当然です。

当然全世代に突き刺さる応援ソングというものは数が限られてくるわけです。何故なら、スキマスイッチさんの全力少年で応援したとしても、全力で少年な人は高齢化社会においてあまり多くありません。爆風スランプさんのランナーだと、走る走る俺たちで、複数人で走っていなければ少し違和感が残ります。中島みゆきさんのファイトだと、錆以外の部分でちょっとマラソンではないなという感じが強いし、少し寒い時期に小雨が降る中走っている感が強いので実はマッチしません。そう簡単に全世代に突き刺さるマラソン応援ソングっていうのは無いのです。

次の24時間テレビは、ネクストサライオーディションを行い、常に右下で走っている芸能人をワイプで抜きつつ、歌手の方々が24時間次から次へと応援ソングを歌い続ける番組にして、視聴者から最も投票された歌に決めるというアイディアが浮かんだのですが、結局サライを誰かがカバーしてやっぱりサライだねとなるに違いないという未来図が見えたところで考えるのを止めました。

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