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自動車の思い出

先ほどネットニュースで、80歳の女性が25年間乗ったマツダRX-7を広報車としてマツダ社に寄贈したという話を見て少し涙がこぼれてしまいました。多くのファンを持つロータリーエンジン車のRX-7を大切に乗り続けてきたと言うだけでなく、55歳から80歳まで乗り続けてこられたということは人生の節々で、常に傍にいたということで、思い出も一入であったことでしょう。「ここまで来るときは7で来ました。帰りは一人です。」こう寂しそうに語っていたのが印象的でした。

私が初めて運転した自動車

8月生まれの私は、大学一回生の夏休みに奈良自動車学校へ通うことになり、そこで出てきたのがマツダ・ファミリア。自分が子供のころに母親が運転していたファミリアでした。

マニュアル・ミッション車として運転を習ったのですが、当時2005年だったわけで、1994年発売のファミリアは下手すれば20年選手。自動車教習所という場所柄、メンテナンスは完璧に行われていたとはいえ、クラッチがなかなか繋がらないので、クラッチを二回入れるなど高等テクニックを最初から覚えさせられるというハードな体験をしました。

丁度入れ替わりでマツダ・デミオが入って来ていたのですが、教官が積極的にファミリアを選んで乗せて来て、今思えば貴重な体験と、不思議な母親との縁を感じざるを得ませんでした。

免許取得後は父親の自動車を借りて遊ぶ

よく、突然高級車に若葉マークを貼った自動車が路上に現れて恐怖心をたきつけられる場面、あると思うのですが、私の場合は日産・セドリックでした。セドリックに初めて乗り運転させてもらった時、高速の合流地点でキックダウンをして、搭乗者であった父親と私がシートの背もたれにGを感じるほど押し付けられて怒られたのが印象に残っています。一旦重心が後ろにぐっと下がる感触が今でも忘れられません。

セドリックは少しやんちゃな人たちに人気の車だったのですが、初心者マークをつけているというアンバランスさからめちゃくちゃ路上では舐められました。

そんなセドリックの生みの親が・・・

つい先日経営統合のニュースが出ましたが、車種が減るというのは自動車ファンからするとかなりの痛手であることは間違いありません。

尖った車が出ては消え、その中でファンを作り後世に残っていく。

少しその可能性が消えたと思うと寂しい気持ちになりました。

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