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M-1グランプリが生き残る訳

今年のM-1は面白かったと心の底から感じた2019年第15回大会。無名のミルクボーイが過去最高得点681点をたたき出し、一夜にしてシンデレラボーイになりました。ネタ中に出て来たコーンフレークはTwitterでバズり、最中は嫌われるという、観た人だけが翌日興奮を共有できる、そんなテレビに最近なかった体験を味わえました。

甲子園の地方予選出場校より多い参加グループ

M-1グランプリだけが漫才の賞レースではないのですが、今回5000組以上の漫才師が出場したということで、夏の甲子園の地方予選から約4000校が出場することを考えると、規模の大きさが伺い知れます。さらに、最大結成から15回出場する資格があるので、高校1年生から野球を始めた子が(3年)、大学野球を経験し(4年)、社会人野球を経験し(1年)、地方独立リーグを経験し(1年)、プロ野球チームに入団し2軍で汗を流し(3年)、1軍になってようやく活躍して成績を残す(3年)ぐらいのスパンで勝負していると考えると、決勝戦のレベルの高さも伺い知ることが出来ます。

入部→レギュラー争いと一回戦突破が最低ラインでは

なので、「俺M-1に出たことがある」と言っても参加費を払って羞恥心を拭い去れば誰でも参加できるので、「俺甲子園の地方予選に出たことがある」よりもハードルは低いのです。むしろ高校入学とレギュラー争いのハードルがある分、M-1で言えば2回戦以上進出と地方予選レギュラー出場が同じぐらいのポジションではないでしょうか。

どこで笑うかが気になる

私はどこで笑おうが勝手だろうと思うし、笑ったことで誰かが得をして自分が損することは無いのでなんでもゲラゲラ笑うのですが、むすっとした顔で分析しながら観る妻が「何が面白いか分からんのに、よくそんな所で笑えるな。」と言ってきます。M-1が終わった後、どこで笑ったとか誰が面白かったとか審査員の意見が間違っているとかネットで書き込まれているのを見て、自分の意見が補強されようやくホッとするような見方をあまりしたくないというのが私個人的な意見です。

格闘技と結構似てるからM-1って名前は絶妙

混戦と言われる、決勝ファイナルで、僅差で優勝を逃すような大会を観ると、格闘技で言う所の旗判定で2対1みたいな微妙な試合を観た感覚に陥ってしまいます。玄人からすればあのパンチが良かったとか、あの攻めの姿勢が得点に結びついたとか鑑賞ポイントはたくさんあるのでしょうが、見世物としてKOやギブアップじゃないとよく分からないんですよね。今年ミルクボーイが過去最高得点でファイナルに進出し、6-1で2組を完封したあの試合はまさしくKOだったし、観ていた人が7人いたら6人が納得する勝ちでした。まあルールが面白かったら勝ちですから。

M-1は続くのか

M-1の良い所っていうのは、視聴者が優勝者に納得しているかどうかに掛かってると思うんです。昔から賞レースって審査員がいてそれぞれコメントは出すけど、誰に何点入れたか分からないシステムだったと思うんです。それは、審査員の判断がもし誤っていたとしても、もみ消すことが出来るし、個人をターゲットにした炎上も繋がらないからです。M-1の凄さは、審査員が点数をその場で誰に相談することも無く発表し、その理由も求められたら発言し、インターネットで炎上してもネタにしてしまう根性のある人が座って審査している点にあると思います。

この何年間かは、テレビにほとんど出てこなかった芸人が突如一夜にしてスターダムにのし上がる、景気のいいM-1が続いています。権威が嫌われる二極化の時代を、盛り上げてくれるいい番組なので、M-1自体が権威化しない様に細心の注意を払い、公平で厳正な審査が行われている以上は大丈夫だと私は思います。

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