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青春18きっぷで旅をした想い出

もう15年前になるので、今とかなり違うかもしれないし、間違った情報も多いかもしれませんがお許しください。

青春18きっぷというのは、簡単に言うと期間限定でJRが発行する5枚つづりの乗り放題切符です。線路は続くよどこまでもを地で行く、九州から北海道までレールが繋がっているところはどこまででも乗り継いで1枚の切符でいけてしまうのです。

青春18きっぷ
日本全国のJR線の普通・快速列車の普通車自由席及びBRT(バス高速輸送システム)、ならびにJR西日本宮島フェリーに自由に乗り降りできるきっぷです。
「青春18きっぷ」は、年齢にかかわらず、どなたでもご利用いただけます。お一人での5日間の旅行や5人グループでの日帰り旅行などの「鉄道ぶらり旅」に、ぜひご利用ください。

https://railway.jr-central.co.jp/tickets/youth18-ticket/

高校を卒業して、大学に進学し、大学の夏休みは8月と9月の2カ月間あるという事実に驚いているうちに一カ月が過ぎ、友人の誘いもあって9月の頭に5人で5日間青春18きっぷで旅行をしようということになりました。

1.出発の地 京都府山科

当然始発で旅を始めたいわけで、行き先は九州に決めました。そして、5人組の一人が住む山科の家に泊めてもらい、夜も明けない内に快速電車に乗り込みました。始発は新快速が走っていないのです。

大体2時間ちょっとの旅程で、着いた頃には姫路城はまだ空いていません。仕方がないので商店街の入り口にある喫茶ブラジルに入りました。いくら旅がしたいとは言え、いきなり地球の裏側の名前を選ぶ当たり、浅はかな青年だったなと思います。サンドイッチか何かを食べたと思います。

そして有名な白鷺城を見学し、お昼前に西側へ向かうことになりました。

2.あまり覚えていない 中国地方

本当によく覚えていません。ただただ長かった記憶しかないです。今姫路駅から小倉駅まで検索したら、約15時間と出ました。どこで何回乗り換えたかも定かではありません。JR山陽線に乗って、とにかく夜に差しかかったころ小倉駅に到着した記憶があります。

3.他人のやさしさに触れた 博多の中州

もう本当に疲れ切って、夜も遅かったしお腹もすいていたし、中洲の屋台でラーメンでも食おうという話になって、一杯のラーメンを注文したんです。それで、ずるずると音を立てて一瞬で食べきってしまい、お金も無いので寂しいけど帰ろうかと話していたら、隣に座っていた親子連れのお母さんが、「あんたら、これでも食べて」とおでんをくれたんです。

「え?いいんですか?」と言いながら既にお箸はおでんに突き刺さっていましたが、あのおでんは本当に美味しかった。いまだに懐かしく思い出します。

これだけは言えるのですが、自分が同じ場面に差しかかったら、絶対隣に座った若者におでんをおごってやろうと思いました。

4.「今夜どこに泊まるの?」

答えは「野宿」です。もう全てのお金を食費と交通費に注ぎ込んでしまっている我々は、野宿しか生きていく方法が無かったのです。

私は18歳まで野宿なんてしたことが無かったのですが、たくましい友人が「ここでチェックインするねん」と明るい店の前に連れて行ってくれました。

(ああそうか、野宿とか冗談言って、安宿を探してくれたのか・・・)

と安心したのもつかの間、そこはコンビニエンスストア。コンビニの店員に余った段ボールを貰えるか交渉する友人を頼もしくも思いましたが、そこで自分の固定概念を全てかなぐり捨てて生きて行こうと決心がつきました。

あとは、博多の家なき子たちに混じって屋根のある所に段ボールを敷いて寝るだけです。5人固まって寝ていると意外と安心して直ぐ眠れましたが、直ぐ置きました。始発の時間に飛び起きて、向かう先はさらに西側。友人は「鹿児島へ行きたい」と言っていたのですが;;;

5.余裕をかました二日目

二日目、旅慣れた我々は一路鹿児島を目指して旅に出ました。しかし、途中で乗り換えに失敗してしまい、2時間近く電車が来ない場所で足止めを食らうことになりました。考えても仕方が無いので降りて、よく分からない田舎道を歩いていたところ、美味しそうな「佐賀牛丼」の看板が見えてきました。

当時千円を超えるランチは想定していなかったのですが、運命と諦めて千円を超える佐賀牛の牛丼を食べ、あまりのおいしさに今でも一番好きな牛ブランドは佐賀牛と言えるほど佐賀牛が大好きになってしまいました。あまりにもリアクションが良かったのか、佐賀ほのかというイチゴまでプレゼントされ、なんか得した気分で鹿児島へ行くという気持ちもどうでもよくなっていました。

6.佐世保にはマクドが無い!?

時間の使い方に余裕が出て来た私たちは、鹿児島行きを放棄し、一路佐世保を目指しました。目的は佐世保バーガー。その当時、ご当地グルメブームがまだそこまで浸透していなかったのですが、この【地名】+【メニュー】=【うまそう】という方程式は数年後見事に世間を納得させ、B級グルメ戦国時代に突入するのですが、佐世保バーガーは外国人が考えただけあって、とても美味しかったです。

まず、佐世保駅に降りて直ぐのハンバーガー屋で試食。あまりの美味しさに、ここはかの有名なマクドナルドも出店できないのでは?と思いましたが、少し離れた場所にあるみたいです。モスバーガーも。でも駅周辺にはチェーン店のハンバーガーショップは無かったです。

そして、街を歩いてさらにハンバーガーを色々食べましたが、結局「駅で食ったやつが一番おいしい」という歩いただけ損だったという結論で、佐世保駅を後にしました。

7.涙の長崎中華街

佐世保バーガーを食べた我々には、もはやハウステンボスへ行くぐらいしかやる気が残っておらず、とにかくお風呂に入りたいなということになり、ハウステンボスのすぐ手前にあるホテルの銭湯に入りに行きました。

そこでゆっくりし過ぎたため、長崎の中華街に着いたのは夜8時半。中華街を歩く人影もかなり少なく、お店も暖簾を下げ始めていました。いやいや、早すぎるだろうと思いましたが、そこは田舎。勝負の時じゃないと思えば店仕舞いするのも早いのです。

そんな中一軒空いている店を見つけ、飛込みました。

とにかくお腹が減って減って仕方なかった私は、春巻きを頼んだのですが、今でもはっきりと思い出せるのですが、美味し過ぎて涙が出たんです。

多分、今食べても涙が出ないかもしれませんが、18歳の自分が、親元離れて九州まで来て、野宿して、一日何時間も電車に揺られて、やっとの思いで到着した中華街も殆ど閉まりかけていて、それでありつけた春巻きの何と美味しいこと。それ以来、中華料理で一番好きなものは春巻きになりました。あの味が忘れられません。

8.長崎のホームレスはその日5人だった

その日も当然長崎で野宿することになったのですが、博多の様に野宿している人は誰もおらず、その日ホームレスが統計上5人増えてしまったことになります。

夜中、警ら中の巡査の方が注意しに来たそうですが、私があんまりにも深い眠りから起きないため、4人だけ放置して移動しようとしたところ、守ってあげなさいと逆に言われて、野宿を許されたと言ってました。酷い話です。

9.もう帰ろう

3日目、とにかくひたすら東を目指そうということになりました。どこで何をしたのかこの辺の記憶が全然ありませんが、11時過ぎに岡山からマリンライナーに乗って、高松駅へ向かいました。瀬戸大橋の上で日付が変わったのですが、高松駅でまさかの追加料金発生に少し痛い出費です。

12時を過ぎて高松に到着したのですが、そこは眠らないアーケード街ライオン通りが待ち構えており、うどんを食べてまた野宿です。

翌朝、うどんを食べました。

お昼、海に泳ぎに行って、またうどんを食べました。

帰り際、うどんを食べて、電車に乗ろうと思ったのですが、もうしんどいなということになり、三宮までジャンボフェリーで帰りました。

10.香川の人はうどんしか食わないというと怒るけど結局和む

香川の人に、「うどんしか食べないですね」というと怒りますが、「じゃあ昨日何を食べましたか?」と聞くと、とにかく高い確率で「うーん、うどんやなぁ」と仰り場が和みます。

昔瀬戸大橋が無かったころ、本四連絡船というフェリーがあって、そのフェリーでうどんが食べられたそうですが、何でもないうどん、むしろ考えてみたら不味いと言えてしまううどんが、四国の人からすると「おかえり」と言われていて本当においしいんだと記憶しているそうです。

この話を聞いた時、はっとしました。

私の青春18きっぷの旅はまさにそれで、行く先々で苦労して食べた食べ物は、そこまでたくさんお金を払わなくても食べられるし、いくらでももっと美味しいものがあるけれども、自分が食べていたのはそこまでの旅の苦労や、空腹感、そして食べ物にありつけたという達成感があって、自分の人生の「美味しい物」という大切な引き出しいっぱいに想い出の味として残ってくれているんだなと。

お粗末様でした。

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