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Netflix『ラヴ上等』は、ヤンキー版テラスハウスだったのか
――暴力不足とコンプラ時代のアウトロー像について
Netflixで配信が始まった恋愛リアリティショー『ラヴ上等』を観た。元ヤクザ、元暴走族総長、いわゆる「ヤンキー」だけを集めて恋愛をさせる。企画を聞いた時点で、恋愛リアリティショーを一通り履修してきた人間なら、ある程度の期待と予測が立つ。
正直に言えば、新しい解を提示した部分と、思い切り肩透かしを食らった部分が同居する番組だった。
世間では「不器用な純愛」「令和のラブストーリー」と持ち上げられているが、ここでは一歩引いて、構造そのものを見てみたい。
1.「全員一軍」という異様な居心地の良さ
恋愛リアリティショーの基本構造は単純だ。一軍と二軍を混ぜ、嫉妬・憧れ・劣等感を燃料にドラマを起こす。
ところが『ラヴ上等』は違った。出てくるのは、元暴走族総長、ホスト、経営者、モデル。彼らは社会の「はみ出し者」ではあるが、その世界の中では明確に勝ち側だ。
これは構造的に見ると、実はかなりテラスハウスに近い。テラハもまた、「その界隈で成功していて、モテて当然の男女」が集められる番組だった。
違いがあるとすれば、キラキラした仕事か、反社一歩手前の経歴か。その程度だ。
つまり『ラヴ上等』は、「反社一歩手前のテラスハウス」。この言い方が一番しっくりくる。
全員が一軍だから、上下関係は生まれにくい。その代わり、妙なプライドのぶつかり合いが空気として漂う。ここは確かに、従来の恋リアとは違う手触りだった。
2.ヤンキーなのに、驚くほど暴力が少ない
企画を聞いて、多くの人が期待したもの。それはたぶん「修羅場」だ。
だが、実際にカウントしてみると、暴力らしい暴力は3回程度しかない。
- 特攻服で肩を小突き合う場面
- バーレスクでの水かけ事件からの流血
- 下駄箱前での小競り合い
正直、この程度である。SPが常駐し、制作側も明確に線を引いている。仲間内での暴力はほぼ皆無。安心・安全・管理されたヤンキーたちだ。
ここで感じたのは、既存の恋リアと価値観が逆転していないという点だ。
普通の恋愛リアリティショーでは、「理性的」「話し合いができる」「感情を抑えられる男」が評価される。ヤンキーを集めたなら、その逆を見せてほしかった。
暴力や強引さで我を通す男が、この世界ではモテる。倫理がひっくり返る瞬間を見たかった。
その可能性が一瞬だけ見えたのが、てかりんとヤンボーの関係だった。イライラして周囲に当たり散らすヤンボーを見て惹かれ、足りなくなると冷める。あの場面に、番組が踏み込めなかった核心がある。
だが彼は早期退場した。結果として、この番組はヤンキーの皮をかぶったコンプラ遵守恋リアで終わった。
3.「告白禁止」という校則と、性の不在
ルールとして「告白禁止」があった。だが実際には、「好き」「お前しかいない」は言い放題。
告白とは何で、好きと言うのとは何が違うのか。この線引きは最後まで曖昧だった。
さらに言えば、ヤンキーという属性から多くの人が想像する「手の早さ」が、ほぼ存在しない。
2週間の共同生活。正直、途中で体の関係を持ち、その上で選ぶ展開すらあると思っていた。だが驚くほど「純愛」に寄せている。
期間も短い。人数も少ない。かつての『あいのり』のような、長期・大量・脱落前提のサバイバルではない。
経済的合理性は分かる。だがその分、人間の嫌な部分が煮詰まる前に終わってしまう。
4.タトゥーではなく、経歴で殴ってほしい
次回作(シーズン2)はすでに決まっているらしい。ここで一つ、はっきり言っておきたい。見た目重視のタトゥー人材は、もう十分だ。
タトゥーは凄みを演出する。だが往々にして、それは内面の弱さを隠す鎧にもなる。
実際、出演者の中でも「自分を守るための武器として入れた」という発言があった。これは決して否定ではないが、裏を返せば、見た目が先行しているとも言える。
次に欲しいのは、見た目ではない。経歴の異物感だ。
- 元薬物中毒者
- 元風俗嬢
- 元詐欺師
- 元転売ヤー
- 元ネットワークビジネス
社会の闇を一度くぐり抜けた人間たちが、更生と愛を求めて同じ場所に集められる。そちらの方が、よほど人間臭く、救いがなくて、面白い。
5.コメンテーター永野の存在が光った
一発屋としてはあまりにも長く売れ続けている、宮崎県出身の芸人永野。私は彼の存在を肯定的に見ている。
MEGUMIが進行役のMC。彼女が企画をしただけあって、仕掛けについても理解していてどうぞ見てください、ここはこういう意図なんですという説明が分かりやすく、彼女も一軍側の人間としての見解を述べている。
AK-69に関しては、成功者としてのアウトロー。彼の言葉一つ一つが日めくりカレンダーにして欲しいとネット上で声が上がるほどの説得力。はっきり言えば成功者になった後、社会派コメンテーターとしての活路が生まれた瞬間でもあった。彼は野球で言えば解説者でも、落合博満氏のような存在に見えた。
そして、芸人永野。彼はもう、実況中継のアナウンサーとして大車輪の活躍。あの3人が私には、学生服を着たように見え、二人のようなアウトローに怯えながら学業をこなす、小心者が何でも好きなことを言っていいからと言われて、どんどん今見えている状況を二軍視点で痛烈に伝えていく、ある種薪をくべる存在としてこの番組を最も面白く導いた功労者と言えました。
結論:これは「安全な異文化体験」だった
『ラヴ上等』は失敗作ではない。だが、危険な番組でもなかった。
視聴者は、アウトローを眺め、少しだけスリルを感じ、最後は安心して純愛に着地する。これは安全に消費できる異文化体験だ。
それが今の時代の正解なのだろう。ただ、恋愛リアリティショーを見慣れた側からすると、どうしても物足りなさが残る。
ヤンキーを使うなら、もっと踏み込んでほしかった。次回作に期待を持ちたい。
※本記事は筆者個人の視点に基づく考察であり、特定の出演者・制作陣を否定する意図はありません。




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