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最近ふと読み返したくなったマンガについて

私が小学生のころ読んでいたマンガで強烈な印象を残したものは、ドラゴンボールでも幽遊白書でもスラムダンクでもコナンでもメジャーでもなく、魁‼男塾である!

魁‼男塾は、1985年から1991年まで少年ジャンプで掲載されていた宮下あきら先生の作品です。ジャンプと言えばバトルトーナメントですが、このマンガの特徴は、トーナメントを繰り返し、倒したライバルが次々に仲間に転じ、新たなライバルを撃破していくバトルトーナメントの王道ですが、個性あふれるキャラクター達と、それを彩る嘘八百の知識をひけらかす民明書房の存在感が架空の世界に中国3000年の歴史と言う立体感を与えていました。

全てについてツッコミを入れると日が暮れるのですが、幼心に納得がいかなかったエピソードがあります。上のコミックス表紙に描かれたキャラクター達の一番左下にいる、富樫という学生帽を被ったキャラクターがいます。彼は根性のみで才能溢れる仲間たちに埋もれることなく毎回爪痕を残して行きます。

あるエピソードで、死闘を繰り広げる仲間を応援したいが声を上げることが許されないという場面で、彼はその情熱を体で表現します。

血闘援のイメージ図

血闘援(けっとうえん)
江戸時代、生命と名誉を賭けた御前試合などで声をだして応援できぬため胸に「闘」の文字を刻み身をもって苦しみを同じとして必勝を祈願するというもの。 
この傷は一生残るためよほどの覚悟と相手を思う気持ちが必要であることは言うまでも無い。 (https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/29116.htmlより抜粋) 上記はイメージ図です。

この場面、コミックスで読めば分かるのですが、痛みを伴うため、かなり無理して震えながら応援する様は感動を呼び、この傷が一生残るキャラクターにしてしまうなんて、思い切ったことをするなと感慨深くなったものです。大威震八連制覇(だいいしんぱーれんせいは)編 では主人公以外全員戦死してしまうのですが、そういった決死の状態で行った「最期の応援」として私の胸にも刻まれたのでした。

だが、しかし・・・

天挑五輪大武會(てんちょうごりんだいぶかい)編を迎えると、戦死したはずの仲間たちは全員中国3000年の秘術により復活していて、富樫の胸に刻まれていたはずの「闘」の字も綺麗に消えていたのであります。(中国3000年の秘術すげー)

作者の都合に振り回されたなんて思ってはいけない

かつて、スラムダンクの桜木花道がリーゼントヘアーから突如坊主頭になったのは、作画を楽にするためと言われていましたが、男塾ファンとして、たびたび登場する富樫の胸に毎回刃物でえぐった「闘」の字を描かなければならないことを嫌って、修復したなんて思ってはいけないのです。我々ファンは、究極のご都合主義をある種の「ギャグ」として受け入れ、このマンガを最大限楽しむ方向へいつしかシフトしていったのでした。

小学生にそこまでシリアスさは必要なかった

魁‼男塾は連載当初、軍隊のような極道の世界のような学校の中で、理不尽さと笑いを追求したギャグマンガ的な形でスタートしているのですが、10メートルぐらいある総長と対決するあたりから、超シリアスなバトルマンガとして華々しく物語が展開していきます。

だけれども、相手は小学生。当時のマンガは子どもだけのものだったので、シリアスだけじゃ人気が取れない。だから、荒唐無稽な「民明書房」という嘘八百を堂々と引用するシュールな笑いで、子どもたちの心のバランスをしっかり保っていたと考えられます。

少年ジャンプの少年離れか、少年の少年ジャンプ離れか

ここ10年ぐらいで、少年ジャンプを読んでいる少年たちを見かける機会が極端に減ったと感じます。逆に、おっさんが読んでいる。昼休憩で路駐しているトラックのダッシュボードに少年ジャンプが置かれていたり、コンビニで立ち読みするおっさんを毎日見かけたり、よく考えれば少年ジャンプの値段も平成31年現在で270円と月5冊買ったら1350円もします。もはや少年がジャンプしても手が届かない値段になってしまっていたということなんでしょうか!?

大人が読むとなると、設定の粗さがインターネット上でやり玉に挙げられることが頻発して、ちょっと死亡したキャラクターが次の話で主人公たちがピンチの場面、突如現れてピンチを救うみたいな場面が減ってしまうわけです。

おっさんは子どものままおっさんへ・・・

もし20年前だったら、ワンピースなんてルフィの手首が伸ばし過ぎて千切れたとしても、ゴムだから熱を加えたら溶けるのでくっつけられたみたいな描写や、胸を貫かれたエースが悪魔の実を詰めたら再生して生き返ったみたいな描写もご都合主義でありだったわけですよ。インターネットで議論出来ない少年たち相手だったら辻褄合わなくても物語が面白ければそれでオッケーだったんです。さらに言えば少年たちはお金を持ってないので、単行本なんて買えませんから、よくて三ヶ月分ぐらいしか貯めて置けないジャンプを過去の分全部読み返すなんて出来ないから、検証の仕様も無かったわけです。

結局のところ、小学生はYouTubeを観て、おっさんは20年以上前と変わらずマンガ雑誌を読んでいるけれど、変なところで大人になっているんだなと複雑な気持ちになりました。

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