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銀河鉄道999の思い出

大学生の時部室に置いてあった銀河鉄道999を読んで衝撃を受けたのを覚えています。ページを捲ってその手が止まらず、直ぐに文庫本13冊を読み終えました。

物語は、機械人間に母親を殺められた鉄郎は、謎の美女メーテルと共に機械の身体をタダでくれるというアンドロメダ星雲にある星を目指してSL型の宇宙船に乗って旅をするのですが・・・

柔道部の先輩から一言

「1巻と13巻を読めば繋がってるから直ぐに読み終えられるよ。」

んなアホな!

そう思いましたが、太陽系を飛び出すまでの1巻と、アンドロメダ星雲に近づいてからのクライマックスを描く13巻を読めばそれで確かにほとんど問題なく繋がったのですが、何とも味気のなさだけが残りました。

各星の1日間が、銀河鉄道999号の停車時間で、それを過ぎるとその星に置き去りにされてしまうので、その星の法に触れて囚人となりギリギリまで抜け出せなかったり探し物があったりと、常にハラハラさせられる仕掛けがありました。

宇宙の神秘性を表現するのに、異空間を旅するパラレルワールドのメーテルと別の子供というシチュエーションが垣間見られた時は驚かされました。

長い旅を二人でする中で、機械化人が人の心を失ってしまい醜悪なさまを目の当たりにしてきた鉄郎は、母親の仇を討つために機械の身体を手に入れるという最初の目的が揺らいでいました。そうして、大きな野望の下行われているアンドロメダ星雲の闇に立ち向かい、切ないエンディングを迎えるのですが・・・。

あの漫画を読んでから既に18年以上の時が過ぎて、連載していたころからすれば50年近く経っているにもかかわらず、どうも頭にこびりついて離れない。面白いという単純性からは少し距離を取った、考えさせられるという一言がしっくりくる物語でした。

面白いストーリーというものは、常に両面性を孕んでいて、大人になればなるほどその深みにはまってしまうのではないでしょうか。子供の頃好きだった仮面ライダーは、勧善懲悪で人々を恐怖の底に陥れ、ショックを与える存在であるショッカーと、ショッカーとして改造されたが人の心が残った仮面ライダーの闘いで、明らかに善悪がくっきり色分けされていました。誰もショッカーに肩入れできないように作られていたのです。今我が子が見ているプリキュアも、敵は完全な悪で、少し残った人の心を取り戻すような話で帳尻を合わせています。なので大人が見てもあまり面白くないのです。

機動戦士ガンダムがなぜ子供から大人までヒットしたかと言えば、アムロ・レイが白いガンダムに乗って緑のザクを切り捨てているだけのロボットアニメであると同時に、シャア・アズナブルがこれまた自身の正義を持つ敵側の存在として魅力を放っていたからで、結果として勝ち負けが生まれたものの、決してどちらが善か悪か決めつけることが出来ないというところが、前述の両面性を孕んでいる部分だと考えられます。

今、面白い漫画の数々が、銀河鉄道999に影響を受けたのかなと思いながら、松本零士氏のご冥福をお祈りいたします。

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