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小学生の頃生死の境に立ち会ったお話
”生死の境を決めた瞬間”というものについて考えていた時、小学6年生のあの日のことを今でも鮮明に思い出します。
私は進学塾に通っていて、土曜日だけはバスで通える最寄り駅の校舎ではなく、そこから電車で3駅離れた各駅停車の電車でしか行けない東生駒駅というところの校舎に通っていました。中学受験も佳境の冬頃、学園前駅に帰るため東生駒駅のホームで友人3名、喋りながら電車が来るのを待っていました。
ゴム付きの財布
友人の中にいた”S君”は、幼稚園が同じで小学校は校区が違ったので別だったのですが、幼馴染で行動を良く共にしていました。
遅くまで勉強させられていた開放感からか、S君はゴム付きの財布を、ゴムの引っ張り力を使って高くまで投げる遊びに興じていました。ゴム付きの財布というのは、腰のベルト留めのところにカラビナで取付けられる、カラフルな少し硬めのゴムが螺旋になっていて財布と繋がっているもののことです。
東生駒駅の入口から、学園前駅で改札口に近いところで降りられる位置まで歩いている最中、S君がずっとその遊びをしていたのですが、徐々に財布の高さが上がって行き、遂に線路の方に財布が飛んで行って落ちてしまいました。
止める間もなく飛び降りたS君
「あっ!!」
そう叫んだと思った瞬間、S君は線路に飛び降りて財布を拾っていました。
「おい何してんねん!!!」
私はそう叫んだのですが、「へへっ」と鼻の下をこすって照れ隠しするS君は、自分がやったことの重大さにまだ気が付いていませんでした。
「大丈夫大丈夫」と言いながらホームによじ登ろうとしたS君でしたが、150cmに満たない小柄な体格のS君は、なんとホームに手すら引っかかりません。僕たちも引き上げてあげようと思っても、手でつかんであげられませんでした。
その時無情にもアナウンスが・・・
‐間もなく電車が参ります。危険ですから白線の内側までお下がりください。‐
S君は、顔面蒼白になりながらぴょんぴょん飛んでいますが、万事休す。全く手が届かないのです。小学生の僕たちも、叫び声をあげてなんとか電車に轢かれないように気を付けろとしか言えませんでした。
すると隣にいたおばさんがこう叫んだのです。
「隣の線路に逃げなさい!!!」
しかし、S君はあろうことか、線路をそのまま走り出して、隣の線路に移りませんでした。
ああ、大変なことになってしまったと思っていると、電車が向こう側からヘッドライトでホームを照らして猛スピードで侵入してきています・・・・。
おばさんが移れと指示した側の線路を猛スピードで通過する電車
生まれて12年で、最大級のトラブルに突然見舞われた瞬間。3歳から知っていていた友達が吹き飛ばされるかもしれないと思った瞬間でした。
彼がどう思っていたか知り得ませんが、おばさんの指示を無視した結果、彼は死ぬことなく低くなったホームのところまで移動し、無事よじ登って来ました。
一緒にいた友達と駆け寄ると、とりあえず良かったなと顔を見合わせてほっとし、その後なんでそんなバカげたことをしたんだと𠮟責しました。
S君はなんだかんだ、財布を落として家に帰るのが遅れることの方が、線路に降りることよりもイケないことだと思っていたようです。
絶叫したおばさんの姿はそこに無かった
恐らくよほど気まずかったのか、自分の叫び声で命が奪われる可能性があった事実に目を背けて、逃亡していました。ホームのどこにもいませんでした。
僕たちはその後、一生懸命勉強して、受験日を迎え、無事志望校に合格・・・と行きたかったのですが、S君は受験に失敗し、地元の中学校へ進むことになりました。
あの日、S君のお母さんとも学園前駅で会いましたが、その事についてチクることもなく、何事も無かったかのように家に帰りました。
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