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しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦(ネタバレあり)

クレヨンしんちゃんの映画を子供と観に行ったのですが、めちゃくちゃ重たかったです。

お盆休み初日

お盆休みは後半に台風が来たこともあり、ちょっと長めの週末が続いたような感じで遠出することも無く終わってしまいました。その中でも最大のイベントだったのがクレヨンしんちゃんでした。

客入りは5割未満で、自分たちの後ろの席の男の子が背もたれに飛び乗ってきたり高速で背もたれを蹴り続ける中、お母さまが寛大な方で、一切声を荒げて叱らないという状況下ゆっくり眠ることも出来ず視聴を終えました。

子どもに見せたくないから見せたいに変わったアニメ

私が5歳の頃に連載が始まったので恐らく同い年だろうしんのすけは、当時社会現象となり真似をする子どもと、真似をして欲しくない、クレヨンしんちゃんは見せないというPTAが一定数いました。

親が禁止するものほど魅力的なものはありませんから、当時われわれ世代はこぞってクレヨンしんちゃんを見ては真似をして親を困らせようとしていました。

それが、今や自分たちの追体験をさせたいのか、親世代はこぞって禁断だったはずのクレヨンしんちゃんを、家族愛、友情、子供の成長、ユーモアの象徴として扱い、時代は変わったなと言わざるを得ません。

クレヨンしんちゃんは30年の年月を重ねて、コンプライアンスの壁をよじ登り、表現の自由を高いところから見下ろしているのです。みさえの体罰は鳴りを潜め、ひろしはダメサラリーマンから今の時代としては勝ち組に昇格しました。

弱者男性を敵役として描いた今作への違和感

クレヨンしんちゃんを大人が見て面白いと感じる理由は、鼻持ちならない大人たちに対して、思っていることをズケズケと子供目線で言えるところにあるといえます。

例えば成金親子が居れば、プライドを傷つけるような行動を敢えてとらせるように仕組んだり、相手を口車に載せて押し売りする訪問レディーは挑発して怒らせて本性を暴いて商談を台無しにしたりと、痛快さが欠かせない要素になっています。

弱者男性、つまり社会的に恵まれない境遇にいて今の生活から浮上することも困難とされている人が今回敵役として登場するのですが、これが超能力で暴走するのを止めるのは正義としても、彼らが持つ社会への不満を、人のせいにするなとぶった切る当たりは、クレヨンしんちゃんを子どもと一緒に見に行くファミリー層からの目線でしかないため、どちらの気持ちも共感して見るタイプの人たちからすると、痛快さを得られず少しモヤモヤした状態で劇場を後にしたという感想がちらほら聞かれる原因だと私は感じました。

野原ひろしを目指すべきか

クレヨンしんちゃんが、30年前の日本の家族のロールモデルであったのが、失われた30年が経過していよいよ目指すべき理想像になってしまったと言わざるを得ないのかもしれません。

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