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新卒で飛び込んだ建機メーカーでの5年間建機メーカー時代の回顧録 〜直販部と製鉄所の日々〜

直販部時代に見た業界のリアルと自分の成長記録

毎年4月になると、新卒で入社した会社のことが思い出されます。2009年から2014年まで、私は建設機械メーカーで5年間働いていました。前半の2年半は首都圏の「直販部」で営業として、後半の2年半は「営業直轄部」で特約販売店との協業に取り組む日々でした。

今回は、特に印象深かった直販部時代の話を中心に、当時の建機業界の空気感、現場のリアルな様子、そして私自身がどう成長していったかを振り返ってみたいと思います。


社名変更を内定式で知る衝撃と秩父デモセンターでの初体験

大学生活の終盤、私は家業である「めっき業」のことは伏せたまま、就職活動を終えてキャタピラージャパン株式会社(現在は合同会社)から内々定をいただきました。

内定式は2008年の秋、池袋サンシャインビル。そこで初めて「社名が新キャタピラー三菱からキャタピラージャパンに変わる」と知り、新聞を読んでいなかった私は、同期の誰よりも大きな声で驚いたことをよく覚えています。

内定式の後には、秩父のデモセンターに連れて行かれ、建機ショーの見学や大型建機への試乗など、学生ながらに「これが社会人になるということなのか…」と、どこか浮かれた気持ちで体験させてもらいました。この時はまさに“お客様”としての待遇で、まさか数年後に自分が営業マンとして同じ場所で顧客を案内することになるとは、想像もしていませんでした。


相模原での研修生活と“寝ていた座学”

入社後は、神奈川県の相模原事業所に隣接する社員寮で研修生活がスタート。この年はリーマンショック直後で、内定取り消し寸前までいったとも聞きましたが、100名以上が無事に採用されました。

研修は短縮され、座学中心。夜は寮で飲み会や麻雀に明け暮れ、正直なところ、何を学んだか覚えていません(笑)。君たちは、給料をもらいながらこうやって勉強させてもらっている。その時に寝るなんて言語道断だ。そう言われたことは今でもしっかりと覚えています。ごめんなさい。販売店での講義でも前夜の飲み過ぎで寝てしまい、のちにその講義をしていた方が上司として配属されてきた時は、人生で一番ヒヤリとしました。

ちなみにこの時、ユンボ・ホイールローダー・ブルドーザーなどの運転資格を取得。実務経験はほとんどなく、今後使う予定もありませんが、貴重な体験でした。


「直販部」配属と営業の現場へ

研修期間を終え、私は東京・用賀にある「直販部」への配属が決定。ここは、ゼネコン・サブコン・製鉄会社・自衛隊など、全国展開する顧客を担当する特殊な営業部隊で、販売店のテリトリー制に抵触しない範囲でメーカーが直接販売を行う役割を担っていました。

私が担当することになったのは「鉄鋼・港湾マーケット」。製鉄所という、建機が1日24時間365日稼働し続ける、まさに異常ともいえる過酷な現場です。部品の消耗も早く、1拠点で通常の8倍のサービス売上を記録したこともありました。


現場で得た“感謝されない営業”のリアル

当時の私の仕事は、顧客の希望価格を引き出し、そこから逆算して社内の承認を得て見積もりを作るという、いわゆる逆算型の営業でした。ただし、メーカーとしては「価格を下げずに売れ」と言いつつ、実際は「1円でも安く売れ」と顧客に詰められるジレンマ。

また、メンテナンス契約を提案しても、製鉄所の異常稼働では機械が想定以上に壊れ、「契約通り整備できませんでした」と謝りに行くことも少なくありませんでした。


スラグ現場、ラジエータ、そしてラジコンの話

水島の製鉄所では、スクラップ処理の副産物である高粘度の「スラグ」や「ノロ」により、建機が傷みやすく、現場での工夫が求められました。石灰がラジエータに固着する問題には、吸気方式の見直しと交換式フィルターで対応。現場仕様に合わせた柔軟なカスタマイズの大切さを学びました。

さらに、転炉下で燃え盛るスラグが飛び交う現場に立ち会い、「ここで使えるラジコン建機を作れないか?」と相談されたことも。ラジコン専門の同期と連携し、現場へ連れて行った時のことは、今でも最高の思い出です。


鬼のレポート提出命令と営業としての成長

入社後様々なマーケットを受け持つ先輩方に現場見学動向をさせてもらう際、担当の先輩から「同行レポートを翌朝までに必ず提出せよ」と命令され、半年間で43本のレポートを作成。どれだけ遅く帰宅しても、写真を取り込んで文書化する日々は地獄のようでしたが、後にこの“強制アウトプット”が色んな局面で活きていると実感します。仕事はメンタルで乗り切らなければいけないと叩き込まれました。本当に感謝しております。


「36年ぶりの逆転劇」と、営業としての誇り

製鉄所は一度、あるメーカーに染まると他社が入るのは極めて困難。しかしある現場で、36年ぶりにメーカーを切り替えるという大逆転劇に立ち会い、同行していた先輩に大きく褒められました。帰りの新幹線、岡山駅を出発しながら涙が止まらなかったのを今でも覚えています。


組織再編と「直販部」の終焉

三菱重工の株式売却後、販社機能は「日本キャタピラー」に移管され、メーカーとディーラーを分離する方針のもと、直販部もその役割を終えました。特殊建機の改造部門も解体され、「過去の改造」を再現できないというジレンマにも直面する時代に。

私自身はこの再編のさなかに、四国のディーラー向け販売促進担当として異動。


地方で学んだ謙虚さと信頼の築き方

四国での2年半は、都会的な営業感覚とはまったく異なる「信頼構築のリアル」を体感する日々でした。メーカーの人間としてチヤホヤされながらも、本当に成果を出せるかどうか、厳しく見られている。地方を“田舎”として甘く見るような態度では、何も通じないのです。

この経験がなければ、私はどこかで天狗になっていたかもしれません。鉄鋼でも、四国でも、素晴らしい先輩営業マンと一緒に働けたことが、何よりの財産です。


次回予告

建機メーカーを退職後、私は家業であるアルファメックへと転身しました。次回は、そこから始まった新しい挑戦の話をお届けしたいと思います。

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