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学校のいじめが隠されるのは何故か
吹田いじめ 加害の男児5人を府警が児相に通告
毎日新聞の記事を読んで、こんなことがあるんだなと凄く驚いたのですが、そもそもなぜそういうことになるか勝手に考えてみました。
どういう経緯かと言えば、女の子がいじめられていた(これはほぼ事実と見て間違いない)けども、学校の担任に放置され、吹田市の教育委員会に放置され、警察に相談して児童相談所が動いて、ようやくいじめ認定がされたのですが、教育委員会に訴えてから4か月間放置されたので問題になっているようです。
仮説A 時効を待ってる
小学校や中学校ってほぼ間違いなく時間が来れば卒業して行くので、問題が表面化するより先に卒業を迎えることを待っていたのではないか。事なかれ主義ここにありといった感じ。
仮説B いじめ認定=昇進の足かせ
当然のことながら、教育者であればいじめを未然に防ぐことに対しての努力をすべきとされるのが当たり前で、人の上に立つ者、つまり学校の管理職である教頭や校長、教育委員会で昇進していくためには万が一でも自身が受け持つ管轄でいじめの事実があったと記録に残すことがマイナスに働くので、表面化させないようにしているのではないか。
仮説C 加害者側の更生機会
学校の先生にこっぴどく怒られた経験のある人なら分かると思いますが、かなりの確率で物凄い悪いことをやったとしても一旦絶望させられた後に反省の色が見えたら許してもらえますよね。何度も繰り返したら退学というケースはありますが、更生機会を設けてもらえるのが学校という場と考えられます。
仮説D 忖度
いじめ認定をするためのステップが多すぎると感じるのですが、加害者のその後の人生を決めることになる(関係していた学校側も)ので、特に慎重にならざるを得ないと思いますが、今回第三者委員会を設置することを躊躇した最大の理由は、忖度が利かせられなくなるからではないかと考えられます。客観的な立場で証拠を精査していくので、加害者はもちろん、抑止出来なかった全ての関係者の非を遡って認めざるを得なくなるため、組織ですから忖度が利かせられないと大打撃になる可能性があります。
私の見立てはこの4つの仮説の組み合せ全てじゃないかなと思います。
先日いじめを告発するいじめ探偵というNPO団体の方の番組を拝見しました。
善悪の判断がつくかつかないか微妙な年ごろの子どもたちが、いきなり法の裁きを受けるような世の中が、本当にいいのかは議論するべきだと思いますが、結果的にいじめをすることが発覚した時、最悪のケースとしてそれを認識することで抑止力になったり、逆にいじめられる側が反撃できる手段を持つことで精神的な拠り所になったりすることはあると思います。
そもそも無くなればいいのですが、いじめにけじめをつけること、はじめが肝心だと強く思います。
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