今月のゲンバ男子 斉藤 博隆

メッキ一筋46年。退職を前に人生を振り返る『メッキと私』

メッキとの出会い

私はこの春、アルファメックを退職します。家業の齋藤メッキに入ってから、46年余りになります。もっとさかのぼれば、小学校に入る前くらいから工場には連れていかれていましたし、もう少し大きくなってからは、簡単な仕事の手伝いもさせられましたが、小遣いをもらえるので、そう嫌なことではなかったです。メッキの内容も、金、銀メッキなど見た目も小綺麗で興味の持てるものでしたから。今も仕事の糧になっているのですが、一緒に仕事をしている父は、実によく働きました。祭日はもちろん、日曜でも働いていましたし、病気で休むこともなかったです。それは、私自身の仕事への姿勢に重なる部分があります。

転機となった川崎研究室

転機となった川崎研究室

そんな環境で育った私の進路希望は、教員になることでした。そのため、国立の教育学部を目指していましたが、結局合格したのは高校から受験を勧められた、甲南大学の理学部でした。浪人するつもりでいたのですが、周りから押し切られ、入学を決意しました。そこで出会ったのが、専門課程で所属することになった、川崎研究室です。そこはまさに、メッキそのものの研究室でした。メッキに関する研究及び実験をすることになりました。4回生では、当時の部屋のテーマであった、「ジェット流による高速硫酸銅メッキ」を研究しました。簡単に言えば、メッキ液を高速で品物に吹き付けることで、通常の50から100倍の電流密度でメッキを行うということです。メッキのスピードが飛躍的に上がります。卒業後の研究副手での1年は、公害の問題に関連して、メッキ液の汲み出しと、水洗槽の汚れについて研究しました。この2つの経験がその後の人生にとって、かけがえのない財産となりました。

メッキは科学である

メッキは科学である

その後は家業の齊藤メッキで働き始めました。ここで30年、ナショナルメッキで2年、アルファメックで18年職人としてメッキを続けてきました。研究室で学んだことと、異なった3社での経験から学んだことは、「メッキは科学(電気・化学・数学等々)である」ということです。建浴(メッキ浴を電解できるように準備すること)、設備諸条件設定が正しく行われれば、望む結果が得られます。しかしながら、結果として不具合が生じるのは、人が絡むからだと私は思います。人は感情に左右される生き物です。それを仕事に、影響を与えないレベルにコントロール出来るようになれば、職人として一人前になれるでしょう。日々の作業に追われていれば、何年たっても作業員のままです。同じ品物を、同じ条件で作業していても、同じように仕上がらないことも多々あるでしょう。常に色んなことにアンテナを張り巡らし、経験を積み重ねることが大切だと、私は思います。

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